土佐犬

僕は土佐犬が好きです、大好きなんです、犬の中で一番好きな犬種なんです、まぁ一言で言えば闘犬種の犬が好き、でも闘犬自体は闘技をして、ケガをしたりしてかわいそうだから、反対はしないけど、土佐犬の化粧まわしをつけた横綱犬やピットブルのグランドチャンピオンなんかは、素晴らしいと思う、世界にはいろいろな闘犬種がいるけど、僕の知識だと、ピットブルが世界最強らしい、土佐犬は階級があって40キロから100キロまである、でもピットブルはだいたいが20キロくらいで、土佐犬に勝ってしまう、ときには殺してしまうこともあるらしい、でも僕は土佐犬こそが闘犬種の中で一番魅力的だと思う、デカくて、イカツイ、カッコイイ、僕は土佐犬闘犬のDVDを持っている前編と後編の2巻セットのやつ、探して探して中古で見つけて、即買った、生ではいまだに見たことはないけど、DVDで見たときは、すごく興奮した、僕は犬が1番、猫が2番に好きだ今は猫を1匹飼っている、前は犬を柴犬の雑種を飼っていた、すごくかわいい顔をした犬だった、お父さんが、保健所だったかで、抽選をして、ウチにきた犬だった、さびしがり屋で甘えん坊な犬だった、お父さんも動物大好きだからかわいくてしかたなかったと思う、今はもう亡くなってしまったから、いないけど、かわいかった、土佐犬もウチで飼っていた犬も、僕は大好き。

人は

人は社会的な自分と人間的な自分を持っている当たり前かもしれないけど、僕は人間的な自分で生きて行きたい、社会にでても人間的な自分で仕事がしたい、なぜか、それは世の中が社会的にまわっていると思うからだ、もし人間的に社会がまわれば、もっと生きやすく、そして働きやすくなると僕は思う、僕が思う人間的とは優しさや、謙虚さ、助け合う気持ちなど、人間が持たなければいけない、様々なバランスのとれた心のこと、それを意識して生きていかねばならないと思う、社会的な人間がすべてを持っているかというと、そうではないと思う、人間がなっていれば、僕はもっと息を吸うのがラクになる、自分勝手な意見にすぎないと思うけど現実にそういう人間的な社会があれば、いいなと思う、上の人が一人一人を理解して、その理解された人たちがまたさらにお互いを理解してう〜ん、なんていうか、社会に適した人間だけが働けるんじゃなくて、そうじゃなくて人間的重視でも、社会で働ける、そんな社会になってほしいのかな?僕は社会に適した人間じゃないから、人間的に生きているから、なんか、一言で終わりそうなことを、ながながと書いた気がする、まぁ、意味わかんない僕の、ぶっちゃけでした。

初めての仕事

僕が初めて仕事をしたのは高校を中退した16か17才のときだったと思う、近所のおばさんが、すし屋で働いていて、人がたりないから、なにもしてないなら、働かないかと誘ってきたから、僕はすぐに働きますと言って、面接を受けたら、受かって、すし屋で働くことになった頑張るぞ!と意気込み、雑用をこなしながら、4日たったある日、いきなり店長に呼ばれて、君、なんか1人のパートさんの悪口言った?と言われた、悪口?なんのことだか、さっぱりわからないから、言ってません、と言った、そしたら、店長がどちらを信じていいか分からないから、君をクビにする、と言ってきた、どうやら1人のパートさんが、店長に僕に悪口を言われたとウソを言ったらしい、店長にクビにすると言われたあとに、さらに店長が僕に、出るとこでてもいいんだよ?訴えてもいいんだよ?とまで言われた、はっきり言って、社会ってこんなやつらの集まりなの?僕は4日でクビになった、そして僕はまた決めた、成人するまで働かない、そして僕は無職になった。

僕はむかしイジメをしていた

僕はむかしイジメをしていました、小学生のときと中学生のときです、小学生のときある人を担任の先生に転校手続きとるぞ!と黒板に押しつけられるまでイジメました、なにをしたかと言うと、頭をたたいたり、言葉でとことんイヤミを言っていました、泣かせてしまい、あわてて口をふさいだりしてました、当時の僕はそれが間違ってない、イジメられて当然だ、こんなやつと思っていました、ある日、僕を黒板に押しつけた、担任の先生がこう言ってきました、いいか、りょう、本当に強いやつは、イジメなんてしない、能ある鷹は爪を隠すんだ、と言ってきたのです、僕の今を支えてる言葉なんですけど、そしてその人をイジメなくなりました、でも僕は中学にあがり、今度は違う人をイジメてしまいました、不登校のクセに、周りからは見下されている、自分に気づかずに、イジメを中学になってもしていたのです、僕は自分がされたことは、ブログに書いても、してきたことは、書いていません、本当は弱い人間が、自分よりも強く生きている人間をイジメている現実に気づかずにいたのです、小学生のときと中学生のときにイジメをしてしまった人たちに心から謝りたいと思います、あのとき、今になっては遅すぎるけど、心からごめんなさい、すいませんでした、あれからときはすごく経つけど、心から反省してます。

不登校2ボクシングが青春だった

僕が不登校だったことは前にも書いたけど、続きがあります、実は僕は高校を3校落ちている当たり前だが、不登校だし勉強はできないしで夢があるだけでは、高校にははいれない、でも4校目の高校でようやく受かり、ほっとした、でもその高校は、不登校や高校中退者や不良などが主の高校だ、僕はボクシングがしたいためだけに、その高校にはいった、そして、そこで運命とも言える、人達に出会った、2つ上の3年生のボクシング部の先輩と顧問だ、まず2つ上の先輩はめちゃくちゃ強い先輩だった、インターハイ、国体にでている、その先輩が僕のボディーガードだった、なぜかいつも一緒にいて授業を受けないで、2人でいつもシャドーやミット打ちやスパーリングをしていた、それでも顧問は授業を受けなくていいから、ボクシングしてろ、といつも言っていた、自分で言うのもへんだけど、先輩は僕にハードパンチャーだなといつも言ってくれた、先輩こそ真のハードパンチャーなんだけど、おたがいに、いつもほめあっていた、でもあまりに僕が授業を受けないで、先輩とつるんでいるから、あるとき、僕が目をつけられて、不良みたいな1つうえの人に僕が、絡まれて胸ぐらをつかまれて、調子にのるんじゃねぇ、喧嘩うってんのか?と言われたことがある、僕はやれやれと気が抜けてしまいとりあえず、すいませんと言ったら、もう喧嘩うるなよ、と言って、その人は、さっていき、2度と絡んでくることは、なかった、そのことをみた、同級生が、先輩に僕が絡まれた、と言ったらしく、先輩があんなやつお前のパンチなら1発だぞ、もしお前に手をだしたら、俺がぶっとばすと言ってきた、さすがだな〜と、僕は先輩のことを思った、そして時が過ぎて、僕は授業を受けないでいたし、学校にもボクシング目的でしか行ってなかったから、留年してしまい、また1年生をやることになってしまった、僕は顧問に僕、学校やめてプロのジムに通います、とたしか言ったような記憶がある、そしたら、顧問が、ほら、プロのジムの会長とつながってるから電話だ、と電話をわたされ、ジムの会長と話をして、本当に学校をやめて、電話で話した、プロのジムに通いはじめた、だが僕は当時、腰痛がひどくて、治るのに2年もかかってしまい、数えるくらいしか、ジムには通えなかった、しかも僕は、高校の1年のときにでた新人戦で1回戦で負けてしまい、才能があるのか、悩んでしまい、しかも留年までもして、あんなえらそうにプロになります、なんて言ったものだから、顧問や先輩には迷惑をかけてしまったなと思う、先輩はプロと大学からスカウトがきて、大学を選んで大学に進学したけど、先輩も大学で自分の限界を感じたのか、大学の途中でボクシングをやめてしまった、それから先輩とは連絡をとっていない、今はなにをしてるんだろうと思う、でも僕にとってボクシングは青春そのものだった、先輩と顧問とジムの会長さんたちには感謝しなきゃいけない。

不登校

僕が中学生のときの話です、中学2年のときに僕は学校にはもう行かないと決めました、理由はクラスに友達ができなかったのと、勉強ができなかったからです、クラスの男子のリーダーは小学生から知っていたけど、友達ではなかったし、小学生かのころ、同級生に、クラスの男子のリーダーが、僕が暴力的だから、僕のこと嫌いだと、教えてもらいました、そのクラスの男子のリーダーは、僕といると、なにかと、言葉での嫌がらせみたいな感じなことを、ちょくちょく言ってきたのをおぼえてます、中学にあがり中学2年で、同じクラスになり、しかも、クラスの男子のリーダーになったから、クラスの男子のリーダーのまわりに集まるやつらは、誰もさからわずに、いました、僕がその男子のリーダーのまわりにいると、男子のリーダーは見下したような顔で僕を見てくるから、なんだよ、小学生のころ、僕のこと嫌いだとは聞いていたけど、まだ嫌いなのかと、いつも思っていた、長く嫌われてるし、見下されてる感がありました、まぁ僕が不登校だから、なおさら、だったのかもしれません、男子のリーダーの話はさておき、僕の不登校時代のささえ、だった夢や音楽や部活の話をしようと思う、夢ズバリそれは、ボクシングのチャンピオンになることでした、畑山隆則さんに影響を受け、僕が大ファンだった人です、こんな人になりたい、僕はいつもえがいていた、あとは音楽、ケミストリーとエグザイルのデビュー曲が大好きで、聴かない日はなかった、あの2つの曲がなかったら、僕はどうなっていたかわからないくらい、救われていた、あとは部活、まえにも、僕のしょぼい栄光で書いたけど、バドミントンが楽しかった、別に地区で団体個人で優勝しただけで、県では、通用しなかったから、弱いんだけど、バドミントンが楽しかったな〜、今日も、不登校だったことを、ぶっちゃけたので、次は中学の終わりから、高校生編を書くと思います、また!。

世界一のお父さん

僕はお父さんが、大好きだった、もう過去形でしか言えないけど、でも僕の霊界に、いるからありがたいと思う、現実にはいないけど、死者として、僕とともにいる幸せが、僕にはある、お父さんは、僕が霊界者だとは、僕の霊界にくるまで、信じていなかった、僕の霊界にきたら本当だったんだなと、言ってくれた、うれしかった、お父さんとの思い出はたくさんある、釣りが好きで、よく2人で釣りに行ったものだ、あとはお酒と山菜採り、公務員を定年前に退職して、おばあちゃんの家の畑で農業を開始したりと、いろいろ手先が器用な人だったから、僕にとって、世界一のお父さんだった、でもある日、くもまっかしゅけつで、もう意識は戻らない状態になり、次の日に世界一の僕の大好きなお父さんは、亡くなってしまった、僕は亡くなった、お父さんを見つめながら、涙が止まらなかった、なにもしてあげれなかった、ただただ悔いが残った、悲しみがまた僕におそいかかった、悲しくてなにも手につかない、姉には、お前だけじゃないんだよ!と強く言われた、大好きな、しかも、世界一優しいと思っていた、お父さんが亡くなった、でも僕は世界で一番のお父さんと出会えた!血のつながりはないけれどそれ以上の関係をきずけた!僕のお父さんは、世界で一番なんだぞ!心からそう言える、僕の霊界には、今、年の離れたいとことおじさんが2人と、お父さんが身内ではいる、年々、霊感がうすれてきてるので、昔はだれでもきたけれど、今は身内限定に近い感じになっている、去る者はみんな去っていった、まぁそんな感じです、とりあえず、僕のお父さんは世界で一番のお父さんなのです、またブログこうしん、したら、心から全力でぶっちゃけたいと思います。